「底辺芸人」が唯一無二の役目を見つけるまでコラアゲンはいごうまんの"巡業人生"|マネブ

マネブNEWS:〔2017.12.14〕「ジャスティス・リーグ」に見る米映画の潮流ヒーロ 現在の記事数:252855件

-

「底辺芸人」が唯一無二の役目を見つけるまでコラアゲンはいごうまんの"巡業人生"


「底辺芸人」が見つけた、ただひとつの生き方とは(撮影:今井康一)

偏差値の高い大学に入って、有名な会社に就職し、出世コースを歩む。世の中的に、いわゆる「成功者」と呼ばれる生き方だ。お笑い芸人でいうと、大きなコンクールで賞を取り、テレビのゴールデン番組に出演し、レギュラーを何本も持つような売れっ子のことだろう。

しかし、そのレールに乗れた者が、必ずしも幸せとは限らない。人気や収入、ステータスと引き換えに、犠牲にしてきたものもあるかもしれない。そしてそこに、捨ててはいけない大切なものが含まれていたら――。

逆に売れない芸人だったとしても。自分にしかできない芸をして、やりがいを感じられて、心から応援してくれるファンがいる。そして、ぜいたくはできずとも、生活できる程度の収入を得られていたら。それは「幸せ」「豊かな人生」と言えるのではないか。

これから紹介する芸人・コラアゲンはいごうまん(48歳・以下コラアゲン)は、人気も知名度も収入も高くない。2007年にはフジテレビの「ザ・ノンフィクション」で、「売れない・食えない・笑えない 年収100万円芸人物語」という、貧乏芸人の悲哀を描いた番組で取り上げられたことも。世間から見ると、いわゆる“非成功者”なのかもしれないが、実際はどうなのだろう。彼の半生を追いながら、「幸せ」について考えてみたい。

すべては「売れない」から生まれた

「ほんならそこのママがね、言うわけですよ。ふんどしを取り出して、はい、制服よって。えー!!」

「初めて来たっていうサラリーマンふうのお客さんにですよ、ママが『あんた、わかるわよ。縛られに来たんでしょう』って、無理やり服を脱がし始めてですね……」

ここは新宿にあるバー。20人も入ればいっぱいの空間で、コラアゲンが漫談を行っている。彼の芸風はノンフィクション漫談。インド放浪、女装体験、ヤクザ事務所住み込みなど、さまざまな世界に飛び込んでいき、そこでの体験をネタにするというものだ。

この日に披露したのは、新宿2丁目のゲイバーで働いたときのネタ。200以上ものネタの中で、ライブでは会場周辺のローカルネタを披露するのが恒例である。彼は全国を巡業し、劇場以外にもこういったバーやスナック、焼き鳥屋、さらには民家などでライブを行っている。

コラアゲンのネタの特徴は、過激な話だけで終わらないこと。取材で出会った人々のキャラクターや、人間味あふれるやり取り、コラアゲン自身の感情の変化などが語られ、人間ドラマとして展開されていく。抑揚をつけた話芸も巧みで、観客はその世界にどっぷり浸り、爆笑したり、涙を浮かべたりしている。

「コラちゃん、めちゃくちゃよかったよ! 友だちを初めて連れてきたんだけど、泣いちゃったって!」

「ホンマですか、光栄ですわー。今日はありがとうございます、お体に気をつけてくださいね」

約2時間半のライブ終了後、コラアゲンは一人ひとりと言葉を交わし、丁寧に見送る。まるで、来てくれた友人を見送るかのような距離の近さだ。一般人からすると、芸能人は手が届かない存在だが、コラアゲンの場合はまったく違うのだ。これも彼のライブの特徴だろう。

こういったコラアゲンの芸風や活動場所、観客との関係性など、狙ってできたものではない。すべては「売れない」から生まれたものだった。

コラアゲンが芸人を志すようになった背景には、通称「リアルなまはげ事件」という原体験がある。1969年、京都に生まれたコラアゲン。父は教育熱心で、京都大学に行くことを期待され、進学校に入学したが、勉強についていけず落ちこぼれるように。あるとき、酒に酔って不満を爆発させた父に、包丁を持って追いかけられた。止めに入った母の手に包丁が刺さり、母は泡を吹いてひっくり返った。

その悲劇を浄化させたのが笑いだったという。

家庭での壮絶体験が、芸人を目指す原点にあった(撮影:今井康一)

「学校で面白おかしく話したら、周りが笑ってくれたんです。心の痛みをそらす手段として、嫌なことを笑いに変えたら楽になった。お笑いへのあこがれというより、自分の人生において、笑いが必要だと思った出来事でした」

元相方・蛍原徹が売れていく中、靴磨きをする自分

高校卒業後の1988年、コラアゲンはNSC(吉本総合芸能学院)に入学。そこで同期の蛍原徹(現・雨上がり決死隊)とコンビを組んだ。しかし卒業後、考え方の違いから解散。コラアゲンはオール巨人へ弟子入りし、蛍原は雨上がり決死隊を結成。その後、蛍原がスター街道を歩んでいったのは、誰もが知るところである。コラアゲンは、蛍原とのコンビ解散とその後の明暗を「人生の象徴的な出来事でした」と振り返る。

「僕が巨人師匠の弟子として、なんばグランド花月に行って、衣装にアイロンをかけているでしょ。すると蛍原君が、スタジオ収録でやって来るんです。同じ花月でも、来ている目的が大きく違って。光の当たっている元相方のそばで、僕は師匠の靴を磨く。あれはきつい時期でした」

コラアゲンは約2年で弟子を卒業する。そして吉本所属の芸人として活動していったが、売れる気配はなかった。そこで吉本を離れ、東京に出ることを決める。層が厚い大阪では埋もれてしまったが、東京なら活躍できるだろう、と考えたのだ。1999年に上京し、芸能プロダクションを片っ端から回ったが、当時30歳のコラアゲンはまるで相手にされなかった。

「どこの事務所も、テレビで活躍してくれるタレントが欲しいんです。なぜならいちばん儲かるから。すると僕なんか論外で。ネタはまぁまぁ面白い、でも飛び抜けるほどではない。それに(テレビ映えする)華やかさもないですから。19~20歳ならまだしも、30歳にもなってたし、これ以上の伸び代もないだろうと」

そんなときに出会ったのが、ワハハ本舗の創立者であり、演出家の喰始(たべはじめ)さんだった。大学時代から放送作家として活動し、数々のヒット番組を手掛けてきた喰さん。彼がコラアゲンのネタを見て下した評価は、ほかの事務所と大差ないものだった。しかし、続いて口にした一言は、コラアゲンの積み上げてきたすべてを真っ向否定するものだった。

「笑わせようとするから面白くないんだよ。笑わせようとしなかったらめっちゃ面白いよ、君の不幸な人生は。今まで舞台でスベりまくってきたでしょ、それはネタになる。元相方が売れたっていうのもネタ。ネタを作る才能がないっていうのもネタ。それを踏まえて、笑わそうとせずに、自分の思ったことをそのまましゃべりなさい」

コラアゲンは当時をこう振り返る。

相田みつを美術館での話がまさかの大爆笑に(撮影:今井康一)

「天動説から地動説を唱えられるくらいの衝撃があったわけですよ。M-1で勝ち上がろうと思ったら、15秒に1回笑いを入れないといけない。笑いを作れ、っていうのが必須条件なのに、まったく真逆を教えられるわけです。僕は売れていないけど、吉本のすごい先輩や同期を見てきたし、やってきた方法論としては絶対に間違っていない。そこを否定されるのは違うだろうと、最初はずっと言い合いでした」

納得はいかなかったが、コラアゲンは喰さんの提案を一度だけ受け入れてみることに。ここまで本音でぶつかってくれる人はほかにいなかったからだ。そして、好きだった相田みつを美術館に行き、そこでの体験をライブで話したところ、観客から予想外の反応が返ってきた。

「大爆笑だったんです。僕が追い詰められていたのもあるから、『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』って言葉がしみて、泣いてしまうわけですよ。お土産のカレンダーも買って、感動した言葉を紹介していっただけなのに。喰さんからも、初めて君の人間が見えたって言われました」

ノンフィクション漫談が誕生した瞬間だった。それから喰さんは、お題として「宗教」「刺青」「幽霊」「裁判」などさまざまな指示を出していった。地べたをはうように生きてきた、30過ぎの売れない芸人。その男がなりふり構わずに飛び込み、取材をしたときに、何か化学反応が起こるはず。それをそのまま話せばいい、というのが喰さんの狙いだった。

実際にライブでは、自作のネタを披露していたこれまでとは、まったく違う反応の連続だった。

「自分が考えたネタのほうが、クオリティは高いはずなんです。けれどノンフィクション漫談は、笑いの深さが違うと感じました。ネタが『ハハハ』という笑いだったら、ノンフィクションでは、お客さんが腹の底からえぐられるように笑ってくれるんです」

テレビ向きではない芸風をむしろ活かす

こうしてコラアゲンの芸風が確立した。ただ欠点は、ネタの時間が長いこと。当時、「エンタの神様」「爆笑レッドカーペット」といった、短時間でネタを披露する番組が主流。1ネタに30分以上かかることもザラのコラアゲンは、テレビ向きではなかった。

事務所主催のライブに出演するだけでは、とても生活していけない。どうしようかと考えていたときに、静岡県焼津市の方がコラアゲンを気に入り、もっと焼津でライブをしてほしいと、飲食店や民家でイベントを組んでくれた。思ったより利益も出た。そのやり方を全国展開すればいいのではと、日本各地をドサ周りするスタイルが生まれた。交通費は、ライブ後に会場でカンパを募って充当していった。

最初は観客や支援者も少なかったが、全国ツアーを何周かするうちに、「うちでもやってほしい」とオファーが増えていった。実はこれらは、喰さんの読みどおりだった。ノンフィクション漫談という芸について、喰さんはコラアゲンにこう言ったことがあった。

「観客が20人いたら、1人だけかもしれないけど、必ずファンができるのがこの芸です。それは単に笑うだけではない。人の心のひだにまとわりつき、共感を呼んで、生きる糧にもなる。ダメな人がもっとダメな人間を見て、生きる希望を与えられる唯一無二の芸だから、誇りを持ってドサ回りしてきなさい」

それを表すエピソードが、焼津市の鈴木家である。仕切るのは、イベンターでも何でもない普通の主婦。コラアゲンとその芸に魅せられて、15年にわたって自宅で、毎年彼のライブを開催しているのだ。年々観客が増えたことから、パイプいすを十脚購入し、増改築も視野に入れているらしいです、とコラアゲンは目を細めて話す。

喰さんと出会うことで、ノンフィクション漫談という芸風を確立したコラアゲン。彼にとってこの芸は、出会うべくして出会ったライフワークだったのだろうか? 意外にも、コラアゲンは首を縦に振らなかった。

「剛速球は投げられないから、野沢菜を投げるんです」(撮影:今井康一)

「しっくり来たと思った次の瞬間、やっぱり僕には無理やなって思ったりしますね。でも、合っているかどうかは別として、僕はこれ(ノンフィクション漫談)をやるべきだと思うんです。48歳までこれでやってきて、急に一発ギャグに転向しても、誰が面白いと思ってくれるのか。職業を変えるって手もあるけど、この年で再就職は難しいでしょう」

仮に再就職できたとしても、ほかの職業では得られないであろう感覚が、この仕事にはある。だから続けていくのだと、コラアゲンは話す。

「ライブをさせてもらって、たまにやけど、大爆発ってときがあるんです。夜も寝れへんくらいそのシーンがグルグル回ってる、幸せな一日があったりするんです。これはもう、この仕事でないと味わわれへんと思うんですよね。転職して仮に収入が増えたとしても、目の前のお客さんが喜んでくれて、『元気になった』『明日からまた頑張れるわ』と言ってもらえるパフォーマンスは、これでしかできないんです、僕は」

今でも、ネタで爆笑を起こせる芸人にあこがれがある。けれど、自分にその才能はなかったのだと受け入れ、割り切っている。大谷クラスがいるんですよ、とコラアゲンは説明する。

「(北海道日本ハムファイターズ・大谷翔平投手のように)165キロの球を投げる才能のある人がいるんですよ。僕があこがれてまねしても、140キロ台しか出えへん。そこで勝負しても勝てへんのです。けどね、あきらめるのは早い。魔球を覚えればいいんですよ。ボールじゃなくて野沢菜を投げるとかね」

投げたかったわけではない。しかし、残された手段がこれしかなかったから、野沢菜を投げた。結果的に、その投法が自分のスタイルとなり、オリジナリティや個性と呼ばれるようになったのだ。

好きなことをして、食えるという幸せ

生活も安定した。「ザ・ノンフィクション」で取り上げられたときは、四畳半一間、風呂なし、共同トイレのアパート暮らし。ゴミ屋敷のような部屋で、カップラーメンをすする日々だった。今は風呂・トイレ付きの部屋に引っ越し、栄養ある食事をきちんと取っている。ビデオ屋でのバイトも辞め、仕事もライブ以外に講演、ラジオ、コラムの連載など幅が広がっている。なんと結婚もした。

「売れるに越したことはないけど、好きなことをやって生きていけたらすてきですよね。そう考えたとき、ノンフィクション漫談に出会えてつくづくよかったなって思います。願わくは、これで死ぬまでやっていけたらいいですね」

そもそも続けることが難しいお笑いの世界。コラアゲンの同期も、ほとんどが辞めているという。しかし、彼は続けている。決して売れていなくても、食えている。しかも、自分の好きな芸をして。

なぜコラアゲンは、それが実現できたのだろう? 尋ねると、真剣な面差しでこう話した。

「自分に才能がなければ、才能ある人に腹立つこと言われても、言うことを聞いたほうがいいってことでしょうね。あとそういう人を離さない。腹が立っても、適当にゴマすりながら、はいはいって聞く。これが大事ですね」

テレビをつけると、人気の芸人たちが画面を彩っている。ゴールデンタイムには、数百万人もの視聴者が、彼ら彼女らを見ていることだろう。その陰で、コラアゲンは今日も20人程度の観客を前に、ノンフィクション漫談を披露している。

どちらが成功者だとか幸せだとか、そんな問いはそもそも不毛なのかもしれない。大事なのは「自分の生きる道と幸せをいかに見つけるか」だと、1人の芸人が教えてくれた気がした。

(=敬称略=)

マネマガ
参考になったらシェア

引用元:東洋経済オンライン

同カテゴリの新着記事

画像
「ジャスティス・リーグ」に見る米映画の潮流ヒーロー全員集合であらゆるファン層に照準

DCコミックが生んだヒーローが活躍する映画『ジャスティス・リーグ』が11月23日から公開されている

画像
「学閥おじさん」に潰されずサバイブする方法ビジネススクールでは絶対教えてくれない

「学閥おじさん」に悩まされていませんか?(イラスト:筆者作成)会社がつらい、辞めたい……。そう思う人

画像
小学校に米軍ヘリの窓が落下、児童1人ケガ普天間基地の近く、翁長知事「許されない」

 上の画像をクリックすると「日テレNEWS24」のページにジャンプします。沖縄のアメリカ軍普天間基地

画像
2018年は円が最弱通貨になるがドルも弱いカギは米国のインフレ率の動向だ

2018年の相場見通しを確認する季節になりました(写真:kazukiatuko / PIXTA)勤労

画像
日経平均は続落、米上院補選結果で心理悪化「アラバマ州は民主党勝利の見込み」と伝わる

 12月13日、東京株式市場で日経平均は続落した。前日の米国市場でダウは最高値を更新。ただ米ハイテク

画像
「日馬富士暴行事件を機に、相撲界から暴力と差別を追放せよ」江川紹子の提言

バッシングに晒された白鵬(写真:日刊スポーツ/アフロ) 元横綱・日馬富士が貴乃岩にけがを負わせた事件


-