非哲学的な人が無視している「語義の個人差」「明けましておめでとう」も万人共通ではない|マネブ

マネブNEWS:〔2018.10.23〕「第2のスルガ銀行」として首都圏の信用金庫の名が 現在の記事数:287354件

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非哲学的な人が無視している「語義の個人差」「明けましておめでとう」も万人共通ではない


「明けましておめでとうございます」は何の気なしに使うものですが…(写真:masa / PIXTA)この連載の記事一覧はこちら

みなさま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします、とこう挨拶しましたが、かつて(そうですね、35年前にヨーロッパから帰ってきて、日本中にあふれる無意味な言葉の洪水に嫌気がさしていたころから最近まで)こういう言葉を使うのがとても嫌でした。

というのは、私はそのころすべて言葉は「正確に」に使うべきだと考えていましたから、「明けまして」と「おめでとう」との結びつきが、理由と帰結のようで、気持ちが悪かった。「明けました」そして他の何らかの理由で「おめでとう」というのならいいのですが、「明けました」からといってただちに「おめでとう」というわけでもあるまい、というわけです。

しかし5年くらい前からでしょうか、私はこの見解をラディカルに変えるようになった。それは、大部分の非哲学的な人(すなわち人類の99パーセント)が考えるように、「挨拶とは、正確な意味を伝えるための行為なのではなく、そう語ることによって円滑な人間関係を維持し確認するための行為なのだ」と考え直したわけではなく、むしろあらゆる言葉の意味は原則的に開かれている(自由に意味付与できる)という考えが、私のうちで強くなったからです。

哲学では言葉を2つに分ける

といっても、私は「1万円」という言葉を使いながら、これで「100万円」を意味するわけではなく、「東京」という言葉を使いながら、これで「ウィーン」を意味するわけではない(哲学ではこういう言葉を「記述語」といいます)。もちろん、私は頑張ればこう意味付与できますが、他者とのコミュニケーションは頓挫しますし、こうすることに何の利点もない。

ところが、不思議なことに(?)、「幸福」や「綺麗」や「まずい」や「醜悪」などの言葉(哲学ではこういう言葉を「評価語」といいます)の場合は、それに各人勝手に個人的意味を添えることができる。どういう状態が幸福かは各人で異なっていいし、何がうまいかまずいかも各人各様であることが許されるのです。

「幸福」という同じ言葉を使うのだから、何か1つの共通の「心の状態」があるはずだ、ということだって単なる推測に留まる。言葉を超えて各人の心の状態を比較することは原理的にできないはずだからです。

そして、「おめでとう」ないし「めでたい」は評価語なので、ここに私の個人的意味をそっと付与することが許される、よって、「明けましておめでとうございます」と挨拶しながら、「明けまして、ただそれだけです」とか「明けましたが、おめでたくありません」とか「明けましたが、おめでたいかどうか疑問です」という意味を込めることが許されるのです(といっても、この個人的意味をふたたび言語化して語ることは許されないのですが)。

とはいえ、哲学に無縁な人(ふたたび確認すると、99.9パーセントの人類)は、以上のことをぼんやり認めても、ある食べ物GをAが「うまい」と言い、Bも「うまい」と言うとき、AとBの味覚は似通っているのだと推測し、Aが「うまい」と言い、Cが「まずい」と言うとき、AとCの味覚は異なっている、と推測してしまう。

そして、こう推測するとき、A、B、Cがそれぞれ「うまい」や「まずい」という言葉に異なった意味を付与しているかもしれない、という観点が完全に抜け落ちてしまっているのです(まったく気づかずに)。ただし、ここに開かれるAとBとCのあいだの感受性の差異において、どこまで純粋の味覚の問題であり、どこまで言葉の意味付与の問題か、ということは最終的にはわからない。ただ、われわれは単純にすべて感受性の問題にしてしまっているだけなのです。

ですから、私が「エスカレータにお乗りのさいは……」とか「駆け込み乗車はおやめください」とか「現金をお取りください」というテープ音が「うるさくてたまらない!」と訴えるとき、これらの音が全然不快ではない自分の感受性を基準にして、「そんな些細なことに抗議する中島はけしからん」と批判するか、あるいは、まったく逆に、私がヘンな感受性をもっていると推測して「中島はアスペルガーだ」と結論づけるか(かつて2ちゃんねるで、こう診断されたときは笑ってしまった)どちらかだというわけです。

という私も、自分は他の人と「同じ」音世界に住んでいるのだろうかわからない。というのも、音や味や臭いは、どこまでが「私の外」であり、どこからが「私の内」か、原理的にわからないからです。

ウィーンのカウントダウンでの気づき

ちょっとここで脱線。どうしても「音」について語り出すと言いたくなるのですが、今回の「シルベスター(大晦日)」もウィーンで過ごし、カウントダウンの光景を見ようと市庁舎前広場に繰り出しました。リンク(環状道路)では市電も停めて、そこを人々が立錐の余地のないほど埋め尽くしている。

しかし、しかしですよ、日本では人が集まると必ず絶え間なく聞こえてくる「危ないですよ!押し合わないで!」と叫ぶ警官の注意放送がまるでないのです! 警官はいるのです。しかし、羽目を外した若者たちが酒を飲んで踊り出そうが、ガーガー喚めこうが、幾重もの群れがぶつかり合おうが、ただ「見ている」だけ。それで、何の問題もないのです。あらためて「なんでわが国はこうならないのか?」と不思議に思いました。

閑話休題。

以上すべてを見通して、ニーチェは、さすが大哲学者だけあって、「およそ、生とは趣味や嗜好をめぐる争いなのだ」(『ツァラトゥストラ』)と断言している。人間のあいだで理解し合えると思い込めるのは、「趣味や嗜好」言いかえれば「感受性」の領域に入らない限りのことであって、ここに入った瞬間に、確かなものは何もなくなる。

じつは私の真横で「おいしい、おいしい」とおもちを食べている子どもの感受性さえ「まったく」わからないのであり、彼がどうしてこんな漠然とした言葉(「おいしい」)を学ぶことができたかすらまったくわからない。しかし、あたかもわかっているつもりになって、じつは強者が弱者を、マジョリティがマイノリティを抑え込んで「正しい」趣味や嗜好を決定し、それから外れる者(外れる言葉を使う者)を危険視・異常視して、徹底的に迫害し排斥するというのが実情なのです。

哲学者の仕事は「目先のこと」を思索すること

このコラムは別に「哲学のすすめ」ではないのですが、「哲学」を何か高遠な理想を語るもの、常人には理解できない真理をめざすと思い込んでいるのなら(「哲学者ならもっとまともなことを言え」という的外れな「批判」があとを絶たないので、そう想像せざるをえない)、大間違いと言っておきましょう。哲学者の仕事は、人類の平和とか幸福とか救済を目指すというのも無限にウソに近い。

むしろ、哲学者の仕事は、誰でも(子どもでも)よく知っているけれど、なぜか微塵も反省しない「卑近な・目先のこと」を徹底的に思索することなのです。例えば、ここには「なぜいつも〈いま〉なのか」とか「なぜ、世界は〈ある〉のか」という問いとならんで「なぜ私は〈こう〉感じるのか」という問いも入ります。なぜなら、「私」の核心をなすのは、思考でも意志でもなく、「感受性」すなわち「私が〈いる〉」という得体のしれない感じなのですから。

かつて、大学(東大教養学科の「科哲」)で哲学を始めたころ、尊敬する大森荘蔵がいたのですが、授業中に「真理とは?」とか「善とは?」というような、大げさな問いを出すとひどく叱られた。あるいは「カントはこう言っている」とか「ヘーゲルはそう考えている」と発言すると、ムッとした顔で「あなたはどう考えているのか」と切りかえされた。いつも、ポール・ヴァレリーの言葉を引いて「真理は表層にあって深淵にはない」と主張していました。

それから約50年間、哲学にしがみついてきましたが、このすべては「正しい」と確信します。哲学塾には講師が10人ほどいて、私は、いまカント、ヘーゲル、キルケゴール、二ーチェ、ハイデガー、九鬼周造を読んでいますが、どんな難解な古典を読んでも、塾生が「からだの底から具体的にわかる」まで、すなわち「そうひしひしと感じる」までは「わかった」とは言わせない。

というわけで、あらためて(驚くほど多様でしかも絶えず変化する私固有の意味を込めて)、みなさま、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

マネマガ
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引用元:東洋経済オンライン

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